石山本願寺

蓮如の隠居房であった事から、ここを崇敬する門徒も多く、本山であった山科本願寺をも圧倒する勢いを見せる。

これを危惧した蓮如の後継者実如は永正元年石山門徒の鎮圧に踏み切った。

だが天文年間に山科本願寺を失った後には本山としての地位を確立する。

戦国時代末期には城郭に匹敵する堅固な石垣をめぐらして要塞化した。

織田信長との石山戦争では篭城戦を行ったが、10年に及ぶ戦闘の後、信長の攻勢に、1580年門主顕如は和睦。

長男の教如はこれに従わず下間頼龍らとともに籠城を続けたが、退去を命じられて、紀伊鷺森に移った。

その直後、石山本願寺は炎上した。石山本願寺の跡地に、豊臣秀吉が大坂城を築いた。

また、同寺建立以前は、古墳であったとも言われ、生国魂神社の境内であったともいわれている。

同神社は太古からの神社であるため、石山が太古の磐座であったとの説もある。
update:2010年02月26日